【考察】久々に感じた、話が「噛みあう」感覚について考えてみた

エッセイ

私が現在勤めている会社はクリエイティビティを必要とする業務が多い。
アート系の勉強をしてきた社員も多数いる。
過去にやってきた仕事とは全く異なる分野の仕事で、社員もこれまで関わったことのないようなタイプの人がたくさんいる。

私は今の職場の人達がみんな好きだ。
みんな、しっかりと自分のやりたいことがあって、それをやるためにこの会社で働いているという感じがする。それがこの会社のいいところだとも思っている。
私とは違う。やりたいことが分からない私には、他のみんなが羨ましい。

話をしていても面白い。今まで、自分が触れたことのないような考え方や、自分とは全く異なる感覚を持っている人達がいるからだ。
あまりに自分と違うので「なんでそういう考えになるの!?」とか「意味分からん理解不能・・・。」という思いにすらならない。違いそのものを、面白いなーと思える。

昔の自分だったら受け入れられなかったかもしれないけど。
まぁ少しは自分も成長したのかな・・・。

ただ感覚が合う人も中にはいて、そういう人との話が「噛み合う」感覚はやはり心地よいものだ。

感覚や考え方、今までの経験が自分と大きく異なる人との会話は、自分が発言する時も、相手の言葉を受け取るときも、互いのギャップを埋める作業をおそらく行っているのだろう。
意識的に行う場合もあれば、無意識にやっている場合もあるのだろうけれども、自分と相手の違いを考慮しギャップを埋めて、相手と立ち位置を合わせた上で会話をしている。
その「ギャップを埋める」作業を面倒だとか、心理的なストレスを感じてはいなくても、脳は確実にその作業の為にリソースを割いているのだろうと思う。

感覚が近い人と話すときは、脳がこの作業に労力を使わない、あるいは少なくて済むのだろう。工程が減る分、会話がスムーズだ。自分の考えを自分の感覚のまま、なんの変換をせずに発信しても、正しく受信される感じがする。これが、話が「噛み合う」という感覚なのだろう。

噛み合わない話も、それはそれで結構面白い。自分の考えが広がったり深まったり、新しい発見があったりもしてとても楽しい。でも一方で話が噛み合う人との話は、自分を理解してくれているという安心感があって良いものだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました